研究室について聞きたいことがあるとの3年生からアポイントのメールを受け取った。コロナ禍で暗い話題が多く、毎日単調な生活を送る中、研究室に興味をもってもらい久しぶりの朗報である。今年も3年生の卒論配属に関する希望調査が行われ、その後調整に入る(らしい)。ここしばらく実践栄養学分野に卒論生として配属された学生の多くは自分が希望する教室からもれた者が多い(と聞いている)。なかには実践栄養学分野を選んだ理由は、「本当はT栄養学に行きたかったが、人気が高く無理だと思った」とネガティブな理由を書いてくる卒論生もいる。当日、Nさん、Hさん、Sさんが来て話を聞いてみたが、「病院へ就職するためには○○分野に行った方が有利なのか?」、「卒論配属先の教室により就職が決まるのか?」といった一般的な内容が多かった。また、教室に関する嘘のうわさもでまわっているらしい。「○○分野はブラックだ」。自信を持って言える。「ウソ」だ。特に私のラボに関心があるようではなさそうだったが、久しぶりに学生と話す機会を得ることができたので、十数年前のS(前)講師やN講師の昔の写真を交えながら教室の歴史を語る。N助教に3年生とのやり取りを話すと、「(写真を)出す必要があるのですか?」。
2007年9月1日、徳島大学に教授として着任した。在籍していた教職員はI講師とM事務員、大学院生のKさん、4年生はTさん、Tさん、K君、Sさん、Nさんの5人。前任地の大阪府立大学の卒論生指導や講義も残っていたので毎週前日にバスで大阪に行きホテルで一泊し業務をこなしていた。また講義および実習を1人でこなし、おまけに教授会などの会議に追われ必然的に時間余裕がなく、卒論生には十分な指導が出来なかった。申し訳ない気持ちで卒論発表を終え、TさんとSさんはお茶の水女子大学へ、K君は青森県立大学の大学院へ進学しラボを離れていった。Tさんは農村医療分野で全国的にも有名な長野のS総合病院へ就職した。唯一教室に残ってくれたのはNさんだった。そのNさんは現在私の教室の講師となっている。
今思い返してみると、全国大会の学会長を務めた年は,外部とのやり取りやお金の計算に追われてスタッフを含め研究指導が十分できなかった。また、学科長1年目は様々なトラブルを高橋学科長から引き継ぐ形で日々対応に追われ大学院生には十分な時間をとってあげることができなかった。
今後の予定では大役は回ってこないので、忙しくて研究指導ができないということはなさそうだ。徳島大学での研究生活も第3コーナーを回ったくらいか。残りの時間で、あと何人の学生との出会いがあるだろうか。人をどれだけ成長させることができるのだろうか。学内外を問わず、大学院生を募集しています。
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