11月中旬、卒業生のMさんから電話がかかってきた。「23日に(同級生の)みんなと会うので、研究室に行ってもいいですか」、「土日祝日も大学に来ているので大丈夫」と返事をすると、「それではお願いします」で会話が終わった。11月23日勤労感謝の日、午後待っていたが、一向に来る気配はない。皆で会話が弾み時間が過ぎてしまっただろうと思い、夕方大学を後にした。12月19日朝、メールをチェックしているとMさんからメールが届いていた。「以前、酒井先生にお電話した際に、23日は15~16時の間までなら、大学に居るかもしれないということで、皆と時間を調節したところ、15時半に大学に伺うことになりました」 12月23日天皇誕生日、この日も祝日だった。紛らわしい。「それなら12月の23日と最初から言ってくれればいいのだが」とぼやいていると、S先生に「病院はかなり前からシフトが決まっていて、直前に予定を変えることはできません!」と逆に言われてしまった。当日は、遅れる者もいたが、予定していた全員が集まり、色々話ができた。卒業して3年目であるが、結婚あるいは結婚予定の話もちらほら出始めているとのこと。職場を変えたものも結構いる。食品会社から保育園の栄養士になった者、病院福祉施設から公務員になった者、実家に戻った者。来年度、学術総会を開催するのであるが、事務担当者がなかなか見つからない。実家に戻ったTさんに打診をしたのだが、連絡先を聞くのを忘れていた。次の日、Mさんからお礼のメールが来ていたので、ついでに「Tさんの連絡先を聞くのを忘れていました。悪用しないので教えてください」と返したが、(やはり)怪しいと思われているのか、メールがこなかった。と書いたが、夕方くらいにメールが来て、「Tさんには、直接酒井先生に連絡をとって頂くように、酒井先生のこのメールアドレスを伝えています!!」 そうか、どうしても教えたくないのか。

大掃除の日、1年間使用しなかったり見なかった資料は、今後もいらないものと判断して整理することにした。整理をしていると、ある添削された文章を見つけた。4年生の時、動物実験施設の助手であった安居院先生(現 北海道大学獣医学部教授)に指導を受けたものである。卒業研究を行ったラボから新しいラボに移るにあたり、少しでも新しいラボの研究が分かった方が良いとの判断で、投稿中の論文を訳せとのことであった。安居院先生は、「○○に日本語の報告書を提出しなくてはならないが、時間がないので代わりに訳してくれ」と言われたが、訳の分からない文章を添削するくらいなら自分でやった方が時間的にも精神的にも楽なことは明白だ。実験自身も分からない者が訳しているのだから、その労力は大変なものであっただろう。その当時は、大学院生が少なかったので、少しでも力をつけるために時間と心を削ってくれたのだろう。

土曜日の朝、エレベーターでとなりのラボのNさんと一緒になった。「土曜日もしなくてはいけないことあるのか」と声をかけると、「修論(修士論文)書いています」 「そーか」 「大学院生のSさんに見てもらっています。そのまま先生に見てもらうと大変なことになりますから」 (?)  うちのラボは、私が見ている。だから毎年大変なことになるのか。

<平成28年12月26日:酒井>

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